男性としての埋没を目指す某FTMの日記

GID(FTM)当事者である筆者が社会でひっそりと生きていけるまでの経過を残します。

両親へのカミングアウト

前の記事でも触れていますが、自分は28歳の今になるまで家族の誰にもカミングアウトをせずにいました。しかし、ホルモン注射を始めることを決意したのをキッカケにバレて問い詰められるくらいだったら先手を打とうと思いカミングアウトすることにしました。

今回はその時のことを書きます。

 

目次

 

悩んでいた理由

カミングアウトをするかしないか悩んでいた、というよりはそもそもするつもりがなかったというのが正しいかもしれません。

逆にするつもりがなさすぎて、ホルモン注射や胸オペをせずに生きていこうとしていていました。

ただ、何年かの社会人生活を経て、女性として生きることは自分には無理だと改めて感じさせられて、毎日ナベシャツで胸を潰し、低い声が話ができるように毎日練習し、振る舞いや髪型を男性に見せるにはどうしたらいいか毎日毎日考えていました。

 

そんな中で、ナベシャツによる弊害が出てきました。激しい肩凝りと猫背で慢性的にうっすらと体調が悪い日々が続きました。

この頃から「まあ胸オペくらいなら年に数回しか会わないしカミングアウトせずともバレることはないだろう」と思い始めます。

コロナも相まって、親と会う機会はかなり減っていたのでそう思ったのかもしれません。

 

実際、胸オペは親には内緒で決行しました。

 

特段、両親と仲が悪いわけでもなく、年に数回は一緒に旅行に行ったりするのでどちらかといえば仲は良い方だとおもうのですが、兄弟含め過去に自身の友達の話や恋愛の話をほとんどしたことがない、というのがうちの家庭の特徴かもしれません。

そのため、自分は幼い頃から性自認に違和感を感じながらも親にそれを話したことはなかったし、ましてや感じ取られてもいなかったため、いまさら改まってカミングアウトするというのが大変気まずく恥ずかしい気持ちで、なかったことにしようとひた隠しにしていました。

 

カミングアウトすることで今の良好な親子関係が修復できないほど壊れてしまったら、と考えるとこわくて踏み出せなかった、というのも本音です。

 

キッカケ

上記の話は、友達には割とオープンに話していました。ありがたいことに自分が男性として生きていきたい(現在そのように生活している)こと、親には話せていないこと、希死念慮がずっとあること、これらを日常会話としてLINEで定期的にやり取りできる高校、大学のころの友達が数人います。

 

いつものように、死にたい、親の存在が自分をジャマしているなどと話していたある日、何かが突然吹っ切れてしまい「どうせ死ぬなら好きなように生きることに全振りしてもいいのでは?」と思いました。

 

長年自分を苦しめていた、親へのカミングアウトができない、それに伴いホルモン注射を諦めていたという悩みが突然晴れて、友達にLINEで宣言した次の日にはクリニックに注射の予約を取っていました。

 

ホルモン注射を始める前にはカミングアウトしなければ、と思ったので、予約日までの2週間でなんとしてもカミングアウトしなければならない状況となりました。

 

カミングアウト

改めて親に時間をもらって対面で話すというのは到底勇気が出ませんでした。

LINEで伝えるか手紙で伝えるか、しか自分にはできないなと思ったのでなんとなく特別感のある手紙でカミングアウトすることにしました。

 

3日間くらいかけて内容を考えましたが、これを見た時の親の反応を考えるとなぜか涙が止まらなくなり、大人になってからこんなに泣き続けたことはありませんでした。

 

胸オペをしたこと

そのためにずっと前からジェンダークリニックに通っていること

5年前に突然転職して上京したのは男性として生きるためだったこと

実は子どもの頃から感じていたこと

親につけてもらった名前はとても気に入っていること

これからも変わらずの関係でいたいこと

 

こんなことを書き、事前になにも知らせることなくポストに投函しました。

 

親からの返事

母からLINEで返事が来ました。

「すべて了解しました」

その一言だけでしたが、ホルモン注射をはじめる前に一度実家に帰ってきて、ゆっくり話がしたいと書いてありました。

親は半強制的に次の週末に私の家まで車で迎えに来て実家へと連れていかれました。

 

否定的な言葉は何もなく、

いままで誰にも相談できずにツラかっただろうと言ってくれましたが、実際はかなりショックを受けているように見受けられました。

きっと聞きたいことはたくさんあっただろうけど、なにかを答えるたびに泣いている自分を見て、途中からは控えてくれたように思います。

 

ひと通りはなし終わったあと、母から100万の札束が手渡されました。

「いつか結婚するときに渡そうと思って兄弟3人に100万ずつ貯金していたけど、あなたには先に渡す。いまは結婚とかあまり考えていないかもしれないけどなにか人生を楽しくすることに使ってほしい。そのまま貯金するのだけはやめて。」

とのことでした。

ありがたくSRSに使わせてもらおうと思います。

 

その後

実家から帰ってきてからも、「やっぱり話し足りなかった気がする」と母からLINEで治療のことを質問されたり今の気持ちを教えてほしいと言われたり、いろいろありましたが、最終的に「勝手に気まずくならないで」と、やはり子どもの考えることはわかっているな、という感じで今に至ります。

 

気まずくしているつもりはないけど、お互いにちょっと時間をかけないと整理できないことはあると思っていて、時間が解決してくれるのを待とうと思っています。

 

特に仲が悪くなったり関係が壊れたりは今のところなかったので心配ないのですが、兄弟にはまだ伝えていないのでそこをどうするかと、実際声が低くなったり見た目がいまより男性化したりするとなんだか会いづらくなりそうだな、と懸念しています。

 

結果、カミングアウトは無事に終わりましたが、これから新たに人生がはじまったなという感じでしょうか。

 

親には感謝しかありません。